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about SASPL

SASPLとは/なぜ学生が/なぜSPLに/なぜデモを/どうして自分たちで主催するのか/アフターパーティとは

Our Stance

「個人」とは/非暴力の行動/安易な革命でもなく/ニヒリズムでもなく/私たちは主張します/民主主義?

What’s SPL?

SPLの何が問題か/国家と個人の緊張関係/知る権利/立憲主義/戦争出来る国作り

Book List

オススメの本/バイクだけに

 

 

about SASPL

 

 

―SASPLって何ですか?

 

 SASPLは “Students Against Secret Protection Law” の略で、日本語訳すると「特定秘密保護法に反対する学生たち」となります。その反対の手段として、デモを主催したり、その後にアフターパーティを開いたりしています。また、特定秘密保護法についての勉強会も行ったりと、メンバー間での知識の共有を対外的に開いた形でも行っています。詳しくはAbout Us[ck1] を参照していただければと思います。

 

 

―どうして学生がアクション を起こすのですか?

 

 SASPLとしての反対理由はWhy we disagree with SPLに書いてある通りで、「学生として」の反対理由は主に①学問の自由、②職業選択の自由、この2つから反対しています。そして、私たちが「考える会」でなく「反対する会」とアイデンティファイする理由は、特定秘密保護法について、「考える」だけで終わるのは非常に危険だという状況認識があるからです。私たちは具体的な行動・知性をもって「反対」というアクションを実践していきます。

 とはいえ、SASPLの中心メンバーやデモ参加者の、個人としての参加理由は様々です。例えば政治的自由を擁護する立場から反対するために参加する人もいれば、法制定プロセスに大きな違和感を感じるから参加するという人もいます(詳しくはVOICE参照)。それらの学生が「個人」として集まり、特定秘密保護法に対し反対のアクションを起こしています。

 

 

―例えば解釈改憲といった問題がある中で、どうして特定秘密保護法に反対するのですか?

 

 基本的に、SASPLで中心になって動いている人たちは、特定秘密保護法のみに反対しているわけではなく、それ以外のイシュー、例えば解釈改憲や2年後の衆参解散総選挙にも照準を合わせて動いています。

 その中で今SASPLがアクションを起こしていく理由はWhy we disagree with SPLの通りです。

 

 

―そもそも、何で「デモ」なんですか?

 

 政治と私たちを繋げる回路としてしばしば取り上げられるのが「選挙」であり、これによって選ばれた人たちが物事を決定していく仕組みを「代議制」と言います。しかし、その代議制が機能不全に陥っているという認識は日に日に高まっているように思われます。派遣村のニュースや企業が人々の雇用を守ることが出来なっているという現実、世代間格差など、私たちの生活のあり方の中で「政治」が強く意識されるようになり、その意味で私たちが政治に求めるものは多様化しています。また、一票の格差や小選挙区制における死票の多さなどは、代議制につきまとう「仕組みの限界」の典型例と言えるかもしれません。だからこそ、その代議制を補完するものとして、例えばパブリックコメントやコンセンサス会議などが重視されます。

 その時にデモという手段は、①「私たち」の意見を社会に対し可視化し表出することが出来る、②デモを通じて「自分以外にも同じ考えを持つ人がいる」ということを知ることが出来る、というこの2点において他の手段より優れていると考えられます。また①の外向きのベクトルについて更に述べるなら、「自分たちの意見を社会に出すこと」を積極的に行うということは、そのことをより積極的に行えるような社会を作ることにも繋がるのではないかと思われます。

 

 

―SASPLはこれまでに三回、自分たちでデモを主催していますが、どうしてデモを自分たちで主催するのですか?

 

 これまでにも秘密保護法に対する多くの反対運動があり、その運動に多くのメンバーが参加していました。しかし、その運動の中で使われる言葉、例えば「私たちは〜〜と思っているんだ!」「ファシスト潰せ」などの言葉を、あまり言いたくないという人もいました。

 デモやオキュパイはしばしば代議制に対し「我々は代表されていない」ということを示しますが、他方でその運動自体も、それが一つの言葉なり意見なりを出す以上は、参加者の意志を代表しようとします。そして、それら既存の運動の中だけでは私たちの意見―学生としての意見―は代表されないのではないかと感じました。だからこそ、自分たちの言葉・意見を自分たちで出すべく、自分たちで、自分たちの意志をより代表しうるようなデモを主催しようと考えました。私たちのデモがコールよりスピーチを重視しているのもこのためです。

 

 

―「アフターパーティ」って、何ですか?

 

 SASPLはデモを行った後に、特定秘密保護法とは何か、それに反対する理由は何かといった「根拠を明らかにする場」として、そしてデモで出会った人たちが繋がり議論する場としてアフターパーティを重視しています。内容としては特定秘密保護法についてのプレゼンやグループディスカッション、ゲストを招いての討論などを行います。

 私たちがアフターパーティを重視するのは、デモに参加してくださった方達に、それだけで終わってほしくないからです。これまでのデモやオキュパイの多くが「それだけ」であって参加者間の交流を持ちにくかったこと、そして自分がデモに参加する根拠が見えにくかったことは否めません。また、しばしば学生の政治運動が中身を伴っていないのでは、という批判もいただきます。

 その中で私たちはアフターパーティを重視することによって、学生デモに参加してくださった一人一人の参加者が、その先も考え議論してくための土台を提供します。また、その人たち―特に学生―が別の形で政治参加をする際に、より明確な根拠を伴った参加をすることが出来るようになることを望んでいます。

 

 

Our Stance

 

―HPに「私たちは個人としてアクションを起こす」といった文章がありますが、どうして「個人」にこだわるのですか?

 

 まず、私たちが特定秘密保護法というシングルイシューで集まっているから、ということが挙げられます。また、特定の政治団体の旗を掲げることに忌避観を覚える人が多いから、というのも理由の一つになります。

 ですが私たちにとって一番大切な理由は、政治などについて考えたり決断したりする時に、最終的にそれを行うのは自分一人だからということ、そしてそのことを重視しているから、ということです。だからこそ私たちは、様々なバックグラウンドを持つ「個人」としてデモに参加し、声を上げることを重視します。

他方で「私たちは個人“として”アクションを起こす」ということは、言い換えれば、デモを通じて「個人」として解体される、ということにもなります。私たちが様々なバックグラウンドを持つということは私たちがある種共通の経験の下に生きていることを意味し、それ故に私たちは決して独立した個人とはなれず、絶えず誰かとどこかでつながっています。その意味で「個人」はフィクションに過ぎませんが、私たちはむしろ、政治的決定を行う「個人」への志向としてアクションを起こしています。

 

 

―どうして「非暴力の行動」にこだわるのですか?

 

 「学生デモ」と言う時に、どうしてもイメージされがちなのがかつての学生運動であり、そのイメージは同時に暴力的な運動を想起させてしまいます。しかし私たちはあくまで一つの政治的回路=方法としての「デモ」を重視しているのであって、その回路は暴力的なものでなく、言葉と思考、そして討議によって形作られるべきであると考えています。少なくとも、公の場で暴力的な言葉を吐いたり暴力的な行動をとることは、理性による政治というものを市民によって形骸化させてしまう結果になるのではないかと思っています。

 なお「暴力的な市民行動」の一つとして反レイシズム運動などを思い起こす方もいるかもしれませんが、権力・差別・暴力の行使者に対する「暴力的」な言葉と、社会的弱者・マイノリティに対する「暴力的」な言葉は全くレベルの違うものです。私たちはこうした構図に理解しつつ、あくまで「学生」としての等身大の言葉として、暴力的な言葉を排除しつつ市民的な言論対抗の手段を模索・実践していきます。

 

 

―第一回の時のキャッチコピーだった「安易な革命でもなくニヒリズムでもなく、私たちは主張します」って、どういうことですか?

 

 先述の通り、私たちの問題意識の根底には「代議制の機能不全をどのように解決していくか」ということがあります。しかし、この機能不全による「私たちは代表されていない」という感覚は、以下の2つの(ちょっと極端な)考え方を簡単に導きます。

 

 

――んじゃまず、「安易な革命」って何が言いたいんですか?

 

 これは「権力なんて無くていい」といった悲観的態度のことです。既存の権力に対する非難という意味で私たちは「安易な革命」と表現しましたが、この発想は要するに、今ある権力構造について「権力を持っている人たち」が責任を果たしていないのが全て悪いから、そんな権力なんて無い方がいいということです(そして「革命」という場合には、それによって私たちが代表されるような仕組みを作ることを含意しています)。この社会は悪いから「ぜんぶ革命で既存の社会をぶっ壊してしまえば良いんだ!!」なんて事はありえない訳で、このような非難的態度が、現在起きている問題やその構造を根本的に変える助けとなるかについては、私たちは疑問を持っています。

 例えば、固定された「敵/味方」という対抗軸でのみ政治を考えると、その発想は時に、現在起きている問題の責任を「敵」にのみ押し付けてしまい、その社会の構成員の一人である自らの責任を問うことをしなくなります。また、ここで私たちは「非難」的態度と書きましたが、この態度は、相手のことを正確に評価しようと努める「批判」的態度と異なります。そして前者の態度はしばしば、現状に対し不満を言うのに終始してしまい、「どのような改善が可能なのか」という態度、そして選択に繋がりません。

 このような理由から、私たちは「安易な革命」を支持しません(もちろん、その意味で「安易でない革命」もあり得るということは承知しています)。

 

 

――成程。では二つ目の「ニヒリズム」はどういうことですか?さっき電子辞書で調べたら「虚無主義」って出てきました。

 

 おお、話が早くて助かります。これとちょっと似た言葉で「シニシズム(冷笑主義)」というのがありますが、このケースだと、政治的無関心に居直るという意味で共通しています。自分一人が行動したって何も変わらないのは分かっている、だから何もせずに日々の生活をより健全に過ごす、といった感じでしょうか。この問題は中々シリアスで、例えば選挙における投票率や若者の政治的無関心は社会問題としてしばしば取り上げられています。

 しかし、このような居直りが現実を変えることはありません。何せアクションを起こさないので政治的に影響力を持つことが出来ませんし、むしろ数の論理で言えば、多数派(分子)が減らないのに全体数(分母)が減っていくので、逆に現在の構造を維持する働きをしてしまいます。

 

 

――あらら。ならどうすればいいんですか?

 

 だからこそ、私たちは社会へのコミットの手段として「主張」を選びます。今日、代議制の仕組みの中では収まりきらないほど人々の主張やニーズは多様化しています。その中で、どのように私たちの声を政治に反映させるか。私たちは社会・国家に主張し、それを汲み取ってもらうことを最も現実的な手段であると考えます。

 また、私たちの主張をデモやパブリックコメント、コンセンサス会議といった回路を通じることで政治に反映してもらうということは、代議制そのものの否定ではなく、むしろその政治的決定により正統性を付与出来るという意味で、代議制を補完するものであると考えられます。その意味で、私たちは大胆な社会変革を望んでいる訳ではありませんし、割と現実主義的なつもりです。多分。

 「でもさー、結局それやっても何も変わらないし意味なくね?」という声もありますが、特定秘密法、解釈改憲による集団的自衛権の閣議決定、そしてそれらの延長線上にある自民党の改憲草案などを考えれば、むしろ何かしらのアクションを起こさなければ、この日本社会に大きな「変化」が起きてしまいます。私たちはあくまで、自由で民主的な日本社会に希望を持ち、それを保守するために、責任をもって問題を主張し、行動する「大人」として行動しています。

 

 

―SASPLのHPやデモを見ていると、しばしば「民主主義」という言葉を目にしますが、どうしてですか?特定秘密保護法だって民意によって選ばれているんじゃ・・・

 

 勿論、選挙によって選ばれた政治家が物事を決定していくのは民主主義の政治において重要なことですが、他方で、そこで代表される民意はあくまで社会の一部であって、全てではありません。特定秘密保護法については、例えば世論調査においては修正・廃案が過半数を占めるなど、選挙の結果とその後の集計にズレがあります※「特定秘密保護法修正・廃止を82% 内閣支持10ポイント急落、共同通信世論調査」(産経ニュース)。他の様々な手段も用いて、より多くの民意を汲み取って議論していくことが民主主義においては重要です。

 しかしそうなると、私たちが日常的に使っている「民意」という言葉はよく分からないものになってきます。選挙結果だけが民意ではないし、頭のいいエリートが「何が民意か」を決定できるほど単純なものでもない。だからこそ私たちは、選挙などによって表出された結果を「民意とみなす」、そしてその結果を補完するものとして、現在の制度によって代表されにくい・代表されない意志を市民の側から示していくというプロセスを、より民主主義的なものとして重視します。

 現代の政治理論で「熟議デモクラシー論」というのがありますが、この議論のポイントは「人の意見が、他者との対話によって変わりうる」という点に注目していることです。つまり、はじめから存在する民意をどう集計するかということではなく、その民意すら変わりうるということです。重要なことは、「何が本当の民意なのか」にこだわるのではなく、むしろ「民意が何かを決めつけない」ことにあるのかもしれません。

 

 

What’s SPL?

 

―特定秘密保護法の何が問題なんですか?

 

 特定秘密保護法については多くの人が様々な観点から問題点を指摘していますが、私たちは①法成立までのプロセスに問題があったこと、②国際原則であるツワネ原則に大きく反していること、③情報の非公開の範囲が恣意的に広げられる可能性があること④国民主権、三権分立の否定であること、⑤「知る権利」の侵害にあたる可能性があること、⑥適正評価制度によるプライバシーの侵害および職業選択の自由の侵害の可能性、⑦スパイ防止に対する実用性への疑問、この7点と学生としての反対理由であるa. 学問の自由に反すること、b. 職業選択の自由に反すること、これらの理由から反対しています。詳しくはwhy we disagree with SPLを参照していただければと思います。

 以下では、これらの議論の中でも分かりにくいところ、誤解を生みやすいところを中心に解説していきます。

 

 

―要するに、国家が秘密を持っちゃいけないってことですか?

 

 そういうことを言う人もいますが、私たちは、国家が自らの存続のために秘密を持つこと自体は当然だと考えています。しかし、国家が秘密を持つということ、そして適性検査などに見られるような国家による情報収集は、時に私たち市民の知る権利やプライバシーといった私的な自由と緊張関係にあることは事実です。

 この緊張関係を踏まえた上で、私たちは特定秘密保護法に反対しています。つまり、何を秘密とするか等についての議論をじっくりした上で、より具体的な法律に修正するか、もしくは廃案か、ということです。

 

 

―どうして「知る権利」が大切なのですか?

 

 ここで重要なのは「国民が主権を行使する」という議論です。政治を誰が決定するのかという問いをたてた時に、現実的な制度は別として、少なくとも理念としては国民が決定することになっています。そして、政治的決定を行うにあたり重要になってくるのは、そのイシューについての情報です。その意味で理念的には、民主主義国家に関わる全ての情報は国民のものとなります。

 しかし前述の通り、国家が自らの存続のために一定の情報を秘密にすることがあります。そのため上に挙げたような緊張関係が生じるのですが、その時に「知る権利」を刑罰等によって大きく侵害しかねない特定秘密保護法は、結果的に、政治的決定を行う主体としての国民から、そういった政治的主体性・政治的自由を奪ってしまうと考えられます。

 

 

―立憲主義という言葉をよく聞くのですが、それ何ですか?

 

 「権力は腐敗する、専制的権力は徹底的に腐敗する」という格言がありますが、立憲主義というのは、国家権力に憲法を守らせることで、権力の暴走を防ぐという考え方のことです。「憲法による権力の縛り」とも言い換えることが出来ます。国家による権力の行使と個人の自由との間には緊張関係が生まれることがありますが(前述)、ここで立憲主義を重視するということは、国家権力を憲法によって縛ることによって、個人の権利・自由を守るということを意味します。基本的には、硬性憲法や裁判的方法による人権保障などです。

 また、立憲主義と民主主義の関係も重要です。民主主義、知る権利の箇所でも書きましたが、現代の民主主義の世界観では、その国内には一つに決定することの出来ない多様な民意があって、かつその中身である個人個人の政治的決定のための資源は(極力)制約されてはいけないということになっています。ざっくり言うと、一人一人の「個人」が政治的自由を行使することが出来る、このことが重要だと考えられているということになります。

 これを実現できるかできないかは別として、問題なのは、このことを何によって保障するかということです。そして、それが憲法である、という考え方が立憲主義というわけです。その意味で、現代の民主主義と立憲主義の間には深い繋がりがあり、それをイコールであると考える識者も数多くいます。

 

 

―特定秘密保護法を「戦争を出来る国作り」と関係づけて話す人が多いのですが、どういうことですか?

 

 一般的に言われている「戦争が出来る国作り」は、現在の自民党の改憲草案に対する反応であると考えられます。詳しい説明は避けますが、この改憲草案で特に問題とされているのが、①権利より義務を重視していること、②個人の自由より公の秩序を重視していること、③立憲主義の否定、です。また平和主義を定める9条では、現行憲法から「軍の不保持」「交戦権の否定」を定めた第2項が消され、かわりに内閣総理大臣を最高指揮者とする「自衛軍」について書かれています。

 この時、特定秘密保護法は、この復古主義的とも言える自民党の改憲草案に書かれている世界への、その第一歩としての位置づけが強いということが言われています。その関連性はwhy weや本Q&Aで指摘した通りです。

 

 

Book List

 

―この問題について、何かオススメの本があったら教えてください

 

 まず特定秘密保護法について考えるなら

 

海渡雄一編(2014)『秘密保護法 何が問題か―検証と批判』、岩波書店

明日の自由を守る若手弁護士の会(2014)『これでわかった!超訳 特定秘密保護法』、岩波書店

 この2冊がオススメです。どちらも非常に分かりやすく、かつ押さえるべきところをちゃんと押さえています。ちなみに、SASPLメンバーも日々お世話になっています。

 

 

 また、デモなどの「社会運動」について考えるのには

小熊英二(2012)『社会を変えるには』、講談社現代新書

 3.11をうけて書かれた本であり、それまでの日本の社会運動のレビューをしつつ、資源動員論などの現代政治理論の議論も確認しながら、「社会を変える」というテーマについて考えています。非常に読みやすいので、是非。

 

 立憲主義などの憲法についての基礎知識についてはやはり

芦部(2011)『憲法 第五版』、岩波書店

 これをオススメします。何版がいいのかについては意見が分かれるところですが、その厚さや文体の割に非常に分かりやすいテクストになっているので、是非。『けんぽうってなんだろう』みたいなタイトルならもっと売れたのにうわ何をするやめ

 

 「政治って何ですか?」と考えたい人にはこちら

杉田敦(2013)『政治的思考』、岩波新書

宇野重規(2013)『民主主義のつくり方 』、筑摩選書

篠原一(2004)『市民の政治学―討議デモクラシーとは何か』、岩波新書

佐々木毅(2007)『民主主義という不思議な仕組み』、ちくまプリマ―新書

 この4冊がオススメです。グローバル化や貧困の可視化、55年体制の崩壊など、日本の政治が揺らいでいく中で、これらの本は「政治とは」「民主主義とは」といった基本的なテーマについて考えさせてくれます。どれも非常に平易な言葉で書かれており、その意味で自分の実生活にリンクさせるかたちで考えさせてくれる良書であると言えます。

 

 「社会を変えるとか革命ってなんやねん!!!オレはさゆりんご推しだけど何か文句あるか!」と考えて、モヤモヤしてるそこのあなたには

佐々木中(2010)『切りとれ、あの祈る手を---〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』

 とある中の人のレビュー

「気をつけよう、僕たちはまだ「社会を変える」という思考そのものがどういうプロセスで起きていたのかを知らないー「読む」ことと「革命」との、誰も今まで辿らなかった思想的道筋を著者佐々木中さんの明解な語り口で切り拓く」

 

―ありがとうございます。とりあえず私もこの問題についてアクセル全開で考えていきたいと思います。バイクだけに?

 

ブンブン!!

 

 

 

 

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